海で76日間も漂流した男

スティーヴン・キャラハンは、少年の頃から大のヨット好きで、大人になるとヨット設計を仕事とするほどだった。 小型ヨットでの大西洋横断を目標においたキャラハンは、自分用に設計した小型艇ナポレオン・ソロ号を建造する。

1981年の冬、彼は念願の大西洋横断の航海に出発し、ポルトガルのリスボン、カナリヤ諸島で年を越したキャラハンは、カリブ海の島々を目指して単独航海を開始する。 

船の沈没、漂流へ・・・

1982年2月4日、嵐が吹き荒れる中、突然の衝撃とともにヨット内が浸水する。キャラハンの船は何らかの原因で穴が開いてしまい浸水が始まったのだ。船はほぼ沈み、かろうじて浮いているだけの状態になり、乗り続けることが出来なかったキャラハンは幅約2メートルの6人乗りの救命いかだに避難した。

救命いかだに移った後は、海に潜って、クッションや寝袋の一部や緊急キットを引き上げた。緊急キットには、食料や海図、槍銃、着火装置、懐中電灯、飲み水確保のための太陽熱蒸留装置、自身も海で漂流した経験のあるドゥーガル・ロバートソンによる海上サバイバルガイド本が入っていた。

夜明け前には、酷く荒れた海がナポレオン・ソロ号と救命いかだを引き離し、キャラハンは漂流した。

夜の海

漂流後、ナポレオン・ソロ号から拾い上げたわずかな食糧はすぐに食べつくしてしまったために、飢えと渇きに苦しんだ彼は、槍で魚を取ることを試みる。

漂流11日目にして魚(カワハギ)を水中銃で突き刺し、ようやく最初の獲物を手に入れることができた。 そのうちボートの周りに大型魚(シイラ)が集まってきたので、それも手に入れて食すことができた。

その他にもトビウオや蔓脚類、ボートに止まった鳥を捕まえて食べていた。

漂流の間、ボートの船底にはまるでコバンザメのようにシイラとカワハギが寄り添うようについてくるようになっていた。

水は2つの太陽熱蒸留装置や即席の雨水収集装置を使って飲み水を集めた。

これら全てを使って、毎日平均約500ミリリットルもの水を生成することに成功した。

彼は初めから救助を期待せずに自分自身を頼って、生き残るための船上生活を維持しなければならないと悟っていた。彼は日常的に運動や操船をし、問題の優先順位を付け、修理し、魚を釣り、装置を改善し、 そして、食料や水を緊急事態に備えて確保した。

発見、救助へ

1982年4月19日夜、彼はグアドループの南東側であるマリー・ガラント島に発光した。キャラハンの漂流が始まってから76日目の同年同月21日に、漁師がいかだの上を飛ぶ鳥に気付いてキャラハンを沖合で拾い上げたが、鳥たちはいかだの周りにできた生態系に惹きつけられたやってきたようであった。

サバイバルという試練のなか、彼はサメの襲来やいかだのパンク、装備品の劣化、神経衰弱、そしてストレスに苦しめられ体重の3分の1を失っていた。

彼は島に運ばれ療養のため数週間を過ごした。

大抵、海難事故に遭った場合、漂流者の90%は3日間で死んでしまうらしいが、彼は自身に起こった出来事を悲観的にではなく前向きにとらえ、その知恵で76日間もの間生き続けた。この経験は彼の著書「76日間の漂流」に詳しく書き記されている。

キャラハン

ノースヤーマスアカデミーの生徒に漂流した経験を説明するキャラハン